橋本市の紀ノ川南岸、奈良県に隣接した恋野地区の地名は、中将姫伝説から生まれたと伝えられています。中将姫は奈良時代の権力者のひとり、右大臣藤原豊成の娘として生まれたが、5歳の時母を亡くした。豊成は後妻に照夜と言う女性を迎えたが、 中将姫は成長するにつれ容姿端麗、英知にも富み何事にも優れた女性になった。継母の照夜はこうした中将姫に嫉妬し、憎むようになった。その嫉妬心がますます強まり命をも狙われそうになり、姫は恋野の雲雀(ひばり)山に逃れ、仏に仕えて住むようになったといいます。
奈良の都や亡き母を思う心は募るばかりで「母恋し 恋しの野辺や…」と中将姫が詠んだ歌から恋野の地名が生まれた。中将姫は後に奈良・当麻寺に移り、ハスの茎の糸で曼荼羅(まんだら)織ったと伝えられている伝説上の女性です。